雨が降っていた。
 あるいは降っている。
 雨の日の暗くて重たい空気はそれだけでひとを感傷的にするから好かない。ばかみたいだ。いつだかそう口にした本人はいま雨に全身打たれていて、そのしずくが重くてたまらないとばかりに俯いている。頭っから足の先まで見事にずぶぬれで、いつもは軽く持ち上がっている髪は根元から潰れ、じっとりとねずみ色になったパーカーに押し込められるようにからだを縮ませている。まったくぬれねずみだ。髪とか服の裾からぽたぽた水滴が落ちている。もう雨は止んでいるはずなのに、この部屋のなかに小さな雨そのものがやってきたようだった。
「傘は」
「ひとにあげた」
「ああ?」
 とりあえず内に入れようと半身になって一歩引いた。脇を通れるように。けれど相手はその場に立ち尽くしたっきり動かない。水滴が重なって重なってたたきを濡らす。ねずみ色に。
 空気中の水が狙いすましてくっついてくるみたいだよねえ。湿った空気に伴う倦怠感をそう言っていたことを思い出したけれどいまはまるきりその水に塞がれてしまっているらしい。あたたかい色の髪もすっかり冷えきって見えた。
 顔を隠す髪の先から、鼻から、顎から、しずくが落ち続ける。
「おい」
「まさか」
 明確な意思もなく、ただ伸ばしただけの指が触れる寸前に彼の震える唇が動いた。影のなかで、むらさき色をしたそれ。春先のプールにでもずっと浸かっていたような。
「まさか、会うと思わなかったんだ。あんなとこで。ただジュースでも買おうって寄っただけなのに。まさか。まさかあんなコンビニに。あのひとが」
「おい」
「雨宿りしてて……どうして。そんな。あのひとが」
 考えたこともなかった。
 言う唇はやはり冷えきっていた。無力な指先に氷みたいなそれが、とまらないとばかりに言葉をこぼす。きちんと受けとめてやれない。息のかかったところから指先が冷えていく。雨がまた凍えた肌を滑り落ちて、けれど、今度はあたたかかった。
「また会うなんて」
 それは彼の人生でいちばんの絶望の熱をもって指の間をすり抜けた。







雨が泣くので孵りたい
お題:牧童
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