幸せになってほしい、と芯から素直に思えるというのはその思いだけで思うこちらを幸せにしてくれるから、だからロックはいっそう強く幸せになってほしいと思う。
 たとえ押しつけでしかなくても。



 椅子の上で抱えたひざを、行儀が悪いと叩かれて、すっかり「ママ」だと笑いながらほどいた腕に渡されたのは温かいミルクだった。カップ越しに熱を伝えて、ロックの寒気に強張った指を緩めていく。自分でも商売道具として気を使ってはいるけれど、こんなふうにすっかり安心して骨まで温もるようなのはやっぱり特別だ。他にはない、彼女だから与えてくれる温もり。
 目が合って、小さな丸テーブルの向かいからティナが笑った。ロックも笑い返して、ほわほわと彼を誘うカップに口をつける。つけながらちろりと目だけを上げると、白い湯気の向こうで、同じように傾いた緑の髪がうんとやさしい。
 一口。
 飲むと、心臓がとろけるのがわかった。
「…………」
 出会ったばかりのティナは、それこそあのナルシェの地のように冷たく凝っていて、笑うことも泣くことも、顔どころかからだ中どこの筋も無駄に動かすことを知らない、正しく生きた人形のようだった。そういうふうに帝国は彼女を扱っていた。けれどロックと出会い、エドガーと出会い、砂と風の舞うフィガロを抜けて仲間たちと世界中を旅をして、そうして、いつか。冬のあとには春が来るように、春が来れば雪が融けるように、それは自然に。
 ……ティナは笑った。
 はじめこそ拙かったそれはけれど少しずつ、日いちにちとほころびていく蕾のように、当たり前に奇跡めいて彼らの旅路を支えた。遠慮がちに空気を震わす笑い声は、みんなの、ロックの喜びで、救いだった。幸せになってほしいと思った。
 今も、そしてこれからもずっと思う。
 ロックはカップをテーブルに戻して、ぐるぐる回る木目を見るともなく見ながら、じわじわと皮膚から肉から浸透していく温かい何かに身を任せていた。外を吹きすさぶ風と雪の音もここからは遠く、家というもののあたたかさがつくづく根なし草の身にしみる。木のドアの向こうからはあからさまに「こっそり」こちらを伺う気配がしていて微笑ましい。
「元気?」
「ええ。ロックは?」
「もちろん。これ、この前の仕事のときに拾ったんだけど、よかったら。チビたちに」
「わあ」
 ロックがポケットから引っ張り出したクズ石たちに、目をぱっちりと開けて胸の前で手のひらを合わせて、テーブルの向こうからティナはすこしだけ身を乗り出した。花びらのようにほころんだ口元が手に取ってもいい? と訊くので、ロックは再度もちろんと頷く。ざらざらと広がったとりどりの石にティナの指がそっと伸びる。つまみ上げる指先はひどくやわらかそうで、その動きはまるで宝石のかけらよりもっとずっと曖昧で危なっかしいものにするようだ。ティナはそういうものたちにもきちんと触れることができる。トレジャーハンターであるロックよりよほど立派に。さすが「ママ」だ。
「ティナ。……幸せかい?」
「ええ。ロック」
 もちろん、とは言わないでティナは微笑んだ。当たり前に、ありふれた奇跡めいてロックのいない家に春は来る。
(どうか)
 どうか君だけで幸せに。







君の為にできることがたった一つでもあればよかったと思うけど
20101017
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