一般的に見て、若しくはセッツァー自身の好みを鑑みても、有り体に言ってセリスはとびきりの美人だ。月の光を縒ったかのような髪がさらりと落ちる下には人形のように冴えざえとした顔面がある。時に微笑み時に涙するその顔の、しかしセッツァーには感情を廃したそれこそが最も、美術品めいてただ美しかった。時を止めてまばたきをする一瞬には何も残らない。もしかセリスの外面がこれほどに整っていなければ、あの帝国で常勝将軍などと呼ばれることはなかったのではないかと思うほど。人は夢を見たがるものだ。
 横顔が特別、非常によく似た女を思い出して、セッツァーは指先で転がしていたダイスを弾いた。とある劇場の看板女優を拐おうとして、騙されて間違って、何やかんやでお荷物を大勢乗っけて空を駆けることになってしまった。もうずっとこの空は彼ひとりのものだったのに。カードかダイスで勝負していれば負けなかったろう。
 弾みがついて転がったダイスをつまみ上げて、いかさまでも探ろうというのかセリスはそれを灯りにかざしてみせた。揺れるかげのなかで、セッツァーは傍らのグラスを口許に運ぶ。紅い水面はこの上空にあっても傾かず、遥か下の大地に平行を保つ。つまり傾いているのはセッツァーのほうというわけだ。
「何かタネは見付かったか?」
「いいえ。タネなんてあるの?」
 試すのを止めたセリスからダイスを受け取って、セッツァーは商売道具を大切に懐にしまう。
「あるかと聞かれたら、もちろん、ないと答える」
「ないの?」
「ないかと聞かれたら」
 セッツァーは唇を合わせ、片端を持ち上げた。
「もう」
 セリスは笑って、こぼれた髪をかきあげて耳にかけた。細長く見える指はだが見えるほどにか弱くはなく、そう、彼女が腰にはく剣の柄にそれはぴたりと沿うのだろう。あの舞台女優の指はさぞかしか細そうに見えて、その五指に(あるいは十指に)自分の器用な指を絡めるのをセッツァーはとても楽しみにしていた。もう、いまとなっては叶わない。この艇に彼女は乗せられない。
「いい艇ね」
 唐突にセリスが言ったので、セッツァーはややばかり驚いた。見返すと、セリスは彼の驚きにはまるで気付かぬ素振りで首を傾がせる。
「わたしには詳しいことはわからないけれど、でも、そうなんでしょう?」
 当然のように言いながら、語調にはすこしだけ自信が欠けていて、代わりにそこには幼い同情と夢想が詰め込まれている。あの当時、ほんのすこし前、この艇が三人の人間だけで軽過ぎた頃。浅いところで前へ後ろへ行ったり来たり、揺れる一枚板のうえに立つように危なげに留まっていたセリスを、それを支えていたのがボロボロになったバンダナ一枚なんてところが彼女の若さを象徴するようで、セッツァーは密かに微笑ましくも苛立たしくも思っていた。彼のそれは飛空艇まるごと一艇と重く、大きく、何より速い。しがみついていなければ振り落とされてしまう。
「タネがあるのさ」
 セッツァーは言い、グラスの中のワインを干して立ち上がった。
「きゃ」
「お」
 強風が吹いたのか、ぐわりと底から揺れた艇にセリスが声を上げてたたらを踏んだ。どうにかテーブルの縁を掴んで堪えて、わらう。横髪をまた耳にやる。
「タネがあるのね」
 この艇にあの女優の儚げな歌声が響いたら、藻屑と滅んでしまうかもしれない。だがセイレーンの歌声はなくとも、セッツァーにはこの艇の鼓動そのものが子守歌になる。彼の前から永遠に去った女はもはや過去で、同時にいまこの瞬間にも彼の腕のなかにいる。それはおそらくセリスが思うかたちとは違っているだろうが、セッツァーは言わない。思い込んでいられるならいればいい、ばかになんてしているわけではなくて。
 「世界をまわって、みんなを探しましょう」と口にした時のセリスは美しかった。波打つ感情が飽和して、セリスから何もなくさせていた。そしていまセリスの内を満たすこころをセッツァーは呼ぶなればそう呼ぶが、しかし彼の内のダリルという名の女を、あれを愛とは決して呼ばない。







それに感情は必要かあれに名前は必要か
お題:浮薄です
20101028
inserted by FC2 system