唐突に、何の用意もないところに投げられた言葉を言葉として受け取れるほどスコールは器用でない。耳の細々した器官なんかの問題ではなくて、コミュニケーションとかそういうのが上手くないのだ。多分今だって音はきちんと拾えていたと思う。だが考えごとの網をくぐり抜けるほどじゃなかった。余裕がないからだ、と言われるのは正しいのかもしれない。努力はしているつもりだ。最近なんかうんと。
「何だって?」
「だから、しわ。眉間に、ほら」
 ね?
 リノアの指と声が、つうつう、眉の間の肌を撫ぜる。傷のとこに触れるとむずがゆい。スコールは自覚のある仏頂面を少し崩して、彼女の指から逃げた。追ってくるかと思った指はしかし、そのままぽとりと落ちる。最前までスコールが向き合っていた(リノアなんかに言わせると睨み合っていた)書類の上へと。印刷された文字を撫でて、這う指をスコールはぼんやり眺めていた。爪がつるりと光っている。どこまで読んだんだったか……
「……忙しい? よね?」
「いや、」
 リノアの声は、声というそれだけで、言葉になっていてもいなくても、どうにもむずむずさせられる。とくに傷のあたりや唇が。
 だからスコールはリノアにしたら珍しく、遠慮がちに紡がれたそれにとっさに返してしまって、「え?」こちらを覗き込む黒い瞳とぶつかってから彼女の問いと自分の答えの意味に行き当たった。忙しいかって? もちろんだ。だから自室にまでこんなものを持ち帰っている。
「いや?」
「いや……そうだな、忙しい」
「だよね〜」
「ああ、その」
「……なに?」
「いや……何でもない」
「そ!」
 書類の角を辿ったり摘まんだりしていた指を翻し、リノアはくるりと踵を返した。長い黒髪がぐるっと回って背中に帰るころには、持ち主はベッドに飛び込むところだ。ぼふ、と一度沈んで、跳ね返るのと一緒に空気も混ぜ返される。狭い部屋では、リノアが動くたび空気もあっちへこっちへ飛んだり跳ねたり。ちっとも落ち着かない。
 リノアはばったり倒れ込んで、シーツの上へ好き放題髪を散らせた、その下からくぐもった声で言った。スコールの、どこへ行くべきか決めかねていた視線はそのまま捕まえられる。
「仕事熱心なのもいいけど、そ〜んな顔ばっかりしてたら、しわ、取れなくなっちゃうぞ」
 リノアは唇をとがらせて、またシーツを転がる。スコールはどう答えればいいかわからなくて、自分の眉間に指をやった。少しばかり不安になって。……ばからしい。
 スコールはすっかりどこからか見失ってしまった、長ったらしく要領を得ない文章を放り出して立ち上がった。リノアは壁を向いて丸くなっている。
 リノアがこの部屋にいるとき、一番よくいるのがベッドだ。この部屋にはスコールが作業なんかをするときに使うデスクのやつしか椅子がないし、そもそもリノアは昼寝が好きらしい。姫君の眠りを妨げる者には恐ろしいことが起こる、というのは森のフクロウに語り継がれる教えだ。あと、眠るんでもなくても、ただごろごろしてじゃれ合ったりするのも好きらしいが、これは昼寝と違ってひとりではできないから、今日みたいな(スコールがお相手を務められない)日は本当にただ寝っ転がっているだけだ。……退屈そうに。
「そうしたら、あんたがほどいてくれるんだろう?」
「ん〜、スコール君、お願いします?」
「お願いします」
 まずは、そっぽむいてる、肩に、触れて。
 くすくす、笑い声は簡単にもれる。お気に入りの遊びをしているときの姫様は、本当に楽しくってしかたないみたいに、心の底から幸せそうだ。
 むずむずしている唇に触れて、離れたときに、やわらかくて甘い音がした。
「スコール、シーツ、替えた?」
「ああ」
「気持ちいい」
「それはよかった」
「んん?」
 すべすべの肌とか、さらさらの髪とか、そういうのの方がよっぽど良いものなのに、本人だけが知らないのかもしれない。
「……もしかして?」
「……まあ、あんたの家のには敵わないかもしれないが」
「うれしい! スコール、ありがとう!」
 贈り物は気に入って頂けたらしい。
 リノアの感情はそのまま体温みたいにわかりやすい。ぎゅうぎゅう、くっついて、少し苦しくて、でもそれまで全部あたたかくてやわらかくてあまい。
 手を繋いだまま、新品のシーツの上を転がる。お嬢さん育ち(と言われると怒るが事実だ)のリノアの肌にしっかりと馴染むシーツは、スコールには上等に過ぎる。するするどこかへ滑り落ちそうな。
 一人用のベッドだから、落ちないように、くっついてくっついて。こうしているときは、二人の間なんて見なくていい。ただただくっついて、触れ合って、あたたかいばかり。距離がない。そう思っていられる。
 スコールは目を閉じて、また、むずがゆいそこを触れ合わせた。まぶたの裏の暗闇は見ないふりでどうかまだ。







僕らは迷うために手を繋ぐ
お題:暗くなるまで待って
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