ふと空気以外何もない空間を見上げて、もしも目に見えない彼がここに存在していたら、と承太郎がらしくもなく想像してみたのは、至極単純に昨日観た映画の影響だった。承太郎さん一緒に観ましょう! と年下の叔父が持ってきたのは死んだ男が足のある幽霊になって恋人のそばに居続けるという(ラブ?)ストーリーで、こいつはこんなもんを観るのか、と熱心な横顔を見下ろしたことがいちばん印象に深い。青春時代に存在する良いものをぎゅっと詰め込んで光る瞳がしっとり潤んでいて、優しいな、と感心した。
 もしも目に見えない彼が。
 承太郎のまわりをくるりと取り巻いて、承太郎が気付いていない何かを伝えようと右往左往しているのだとしたら、それは……。
 承太郎は手にしていた本をいったん閉じて眉間に指をやった。何かに押さえつけられてでもいるかのようにじっとり重たいそこを揉んで、力を入れて瞬きをする。まぶたの裏に星が飛んで、押さえつけていたやつが音をさせずに笑ってそっと離れていったのは突き放されるのと変わらない。まぼろしだ。
 コーヒーを入れることにして立ち上がる。
「…………」
 コーヒーメーカーのこぽこぽいう音をただ聞いている。承太郎しかいないホテルの部屋では他には何も聞こえない。滑稽だとしか思われない。







歩くものも掴むものもございません
お題:濁声
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