俺は英雄じゃない、と何年もの間幾度も幾度もスネークは口にしてきて、オタコンはたぶんそのほとんどを聞いてきた。大概は遠く離れた安全な小箱のような場所から、銃弾飛び交う戦場でひとりぽっちのスネークに、それでも気持ちばかりは寄り添って。俺は英雄じゃない。様々な相手に向けてスネークはそう告げてきたけれど、英雄を英雄足らしめるのは本人の意識でなく、だからいまなお彼を知る者たちは彼を英雄と、彼がこの世を去るまでのもうすこしの間、そしてその後にも呼ぶだろう。この世界を救った英雄。語り継がれるのは嫌がるだろうが。
「スネーク、違う!」
「なに?」
「ああ、こっちが先だよ、スネーク。……たぶん」
 ところで、最近彼ら三人(オタコン、スネーク、サニー)はめっきり料理に目覚めた。朝昼晩の三食をレストランやスーパーマーケットに任せるのではなく、どうにか自分たちの手を捩じ込もうという取り組みだ。サニーは元々好きだったわけだし、きれいな目玉焼きが焼けるようになったのがよっぽど嬉しかったんだろう、いちばん積極的な料理長で、オタコンとスネークは手伝い程度と言ったところで右往左往している。それでも形だけでも参加するようになったのは、心をちょっとくらい入れ替えたとか、他にすることもないとか、新しいことを始めたかったとかいろいろだ。スネークはとうとう煙草を手放すほど健康に気を使うようになったのだし、健康とはすなわちバランスの良い食事から、という理由もある。それから規則正しい生活、人間らしい暮らし、といったものたちも。どれもこれまでの三人には著しく欠けていたと言える(スネークの生活はまあ規則正しかったが)からまだまだ試行錯誤の段階だけど。一日に一度それなりの食事がとれればその日は運が良い。
 サニーはぐつぐついう鍋をじいっと真剣な目で覗き込み、スネークはその横で右手に塩、左手に砂糖(逆かもしれない)を持っている。オタコンはサラダ用にレタスを千切ろうと手を伸ばし、ふっと唐突に思い付いて顔をあげた。
「そうだ、今日は外にテーブルを出して食べないかい? 随分暖かくなってきたしさ」
「それ、いい」
「ああ」
 パリッと千切れるレタスから散る水滴がみずみずしい。新鮮だなあ、とオタコンは思う。
 スネークに、もしくは名もなき男に、あるいはみんなに救われた世界は今日も美しい。そんなふうに感じることは滅多にないオタコンも、あの日サニーに教えられた夕陽のきれいさは覚えている。目玉焼きを見たら思い出す。でも、もうしばらくは目玉焼きは食べたくない。
「お腹空いたね」
「ああ」
「うん」
 スネークは英雄でありいつか英雄になり、そうしてまたいつか英雄でなくなるだろう。彼の望みの通りに、ではそれはなかろうが。
 そしてオタコンもサニーもいつか死ぬ。生きていれば腹が減るように。それは美しい自然の摂理だ。







だれも永遠を知らない
お題:環
20100419
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