立花仙蔵が死んだ。
 それを聞かされたとき、文次郎はまったく笑ってしまいそうだった。ばかか。寝ぼけているのか? 早く家に帰って寝ろ。
 それらの言葉がしかし現実の音にはならずに脳裏を過ぎ去ったのは、やはり文次郎が驚いていたからだろう。狼狽してさえいたかもしれない。笑い飛ばそうとした唇の端が奇妙にかたまって、そのまま何の言葉も出てこなかった。あとかうとかいう音の端もこぼれなかったのは幸運であったかもしれないが。
 ひとを支配するのはいつだって本能の根だ。
「どうした文次郎。聞こえなかったのか?」
「いや」
「そうか」
 なら何か言ったらどうだ?
 あくまで淡々と言われても、文次郎はやはり何とも言えなかった。何か? 何を? 死んだ? 仙蔵が? 驚いている?
 文次郎は首を捻りながら、とりあえず真夜中の訪問者を招いた。窓から。思い出したように……あるいは(非常識な訪問者にふさわしい対応とかそういうのを)忘れたように。
 そのとき、縁を乗り越えてきた姿に、文次郎は返しかけていた踵を止めた。半身になる。
「仙蔵、おまえ」
「何だ」
「おまえ……」
「やはり聞いてなかったのか」
「いや」
 聞いていた。聞いていたとも。
 立花仙蔵が死んだ?
「そういうことだ」
 自らの訃報をもたらした男はもしかしたら微笑んでいたのかもしれない。文次郎は見ていなかった。男が脇を過ぎて行ったときにも、文次郎の視線は下方に固定されていた。
 足がない。
 足がない。
 足が……
「何をいつまでも突っ立ってる」
 しろい顔だ。







真夜中に朝日が上る
お題:9円ラフォーレ
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