正面からななめに角度を付けて射してくる夕日に目を細めて、安形はなんともぼんやりと、やや以上呆けている自分を意識しながらひとり立っていた。二年と半分以上履き込んですっかり薄っぺたくなった校内用の上靴のしたに、何人もの生徒に踏まれ続けてきたすのこの感触がある。一度靴箱を開けて下足を取り出そうとして、やはりそのまま閉じてただ立ち尽くしている。別段何があったわけでもなく、感慨に耽っているのでも、考え事をしているのでもない。夕日がまぶしいとか、せいぜい頭にあるのはそれくらいだ。
「まぶしいなあ、おい」
 声に出してみたのにも意味はない。人気のない玄関口に、ひとりごとがぽつりと落ちる。さみしいなと次には思った。これではまるで、自分はとてもさみしい人間のようではないか。
 しかしそんなことはおそらくないと安形は知っている。彼には家族もひとなみの友人もひとなみ以上の仲間もあって、安形は事実優秀で天才とさえ呼ばれる部類の人間だったから、これまでの人生(まだたかだか十七年)他人の力を切実に必要とする機会はあまりなかったが、それでもそのありがたみは確かに知っていた。安形は情緒的なタイプではなかったが、それなりにものを感じ、それなりのなかから他人より多くのことを知ることができた。何せ天才とひとは言う。
 安形にとって他の誰にもそうであるように自分はひとりしかいないので、実際のところこの言葉が相応しいのかはわからない。あくまで評価は他人が下すものであるし、それ自体には興味もさほど抱けない。しかし安形にはひとよりたくさんのことがひとよりすくない労力で器用にこなせたし、「置物会長」という呼び名のあった通り何かをせずにいる、しないことをする、というのも難しくはなかった。
 放課後の人気の失せた下駄箱の脇で、しようもない物思いにさえろくろく耽らない、そんなふうにしていられるくらいには安形は自由でもあった。
 パタパタと最早それ自体生真面目で一所懸命に聞こえる足音に、安形はゆっくり振り返る。「置物」なんて一生言われそうもない新会長が、今は後輩の顔になってやって来るところだった。
「ああ、すみません、お待たせしました」
 脇に抱える鞄の蓋を閉めながらせかせかと寄ってくる椿が、一瞬入り口に目を向け、赤と橙の光に目を細め、それからきちんと安形を見る。片頬を夕日に縁取られもう半分は安形のかげをかぶった顔に、安形はゆるくかぶりを振った。
「気にすんな。忙しいのはわかってるし、こっちこそ急に誘って悪かったな」
 下足を取り出しながら言う安形に、いいえ、と椿は答える。
「いいえ、会長。そのようなことはありません」
「そっか」
「はい」
 答えて、きびきびと二年の靴置き場に靴を取りに行った椿と、ガラス扉のところですぐにまた合流して安形はようやく校舎を出る。規律正しい学園を作りたいという元副会長を、この箱のなかで安形はもう手を引いてやれない。不器用すぎる彼が不器用にたたかい続けるのを、終わりまで見ることもない。自分とは違う、どんなやりようだってあるだろうそれを。
「椿、手繋いでやろうか」
「はっ?」
 冗談だ、とかたい頭を軽く撫でる。安形はいつまでも安形で、いろんなことが、今日も明日もあさってもそうなのだろうと、ぼんやり考えるでもなく思うばかり。







なにかの正解です
お題:泳兵
20110821
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