そういうのは言わぬが花だと妙は思っていて、それは信念とかそんな大層なものではなかったけれど単純に妙の足を大地に縫い止めるものの一つではあって、つまり、だから、いくら仕事仲間たちが楽しそうにしていたって苦しそうにしていたって妙はそんなことで揺らいだりなんかはしなかった。妙は照れ屋ねと誰かが言って、それは一理あるかもしれないと思った。
 案外それがすべてかもしれないと今は思っている。
「あ」
 妙の足を大地に縫い止めるものといったらもちろん弟と道場がその筆頭で、その二つが揃って目の前にある今は妙はどこにも浮き上がることがない。ふらふら漂ったりもしない。
 ……不意に男が声を上げたときにも、だから妙の足はしっかり地面に付いたまま。
「どうしました……?」
 男は振り向かず、濡れ縁に座って空を見るように頭をわずかに傾けている。妙は寝息を立てる弟の傍らに座って、その髪を梳きながら、目だけは男のとなりにやっていた。たまに弟が何かむにゃむにゃ唸ると、露になった額やら頬やらを撫でてやって宥める。
 もし今男が立ち上がって歩き出しても妙は追わないかもしれない。妙の見ていない、弟を見ている隙に立ち上がられたら気付きさえしないかも。
 額にかかった髪を指で分けてやると、弟はむずがるようにまたむにゃりとうめいて寝返りを打った。
「あめ」
「え?」
「うん」
「……ああ」
 遅れて妙の理解が追い付いたところで、男はすうと立ち上がった。そのまま庭にでも消えてくれれば夢か幻だったと信じてしまえそうな影の薄さで、けれど男は部屋の内へと戻ってきた。髪から肩の先に、ひやりと冷たい空気を乗せて。においがする。
「運ぶか」
「雨」
「え」
「止むかしら……」
「ああ」
「いいです、運ばなくて。ありがとう」
 そう、と、男はその場に腰を下ろして、卓の上に置いてあった弟の眼鏡をとった。縁を撫でて手慰みにしながら、どこへやらぼんやりとしている。
 妙は弟の頭を撫でた。
 今さら何の想いも込められない、ただここにあって妙を繋ぎ止めて息をしていて、それ以上のあり得ない。名前を付けるまでもなく落ち着いてここにある。
 男がふわあと欠伸をして、涙の滲んだ目と、目が、合った。
「……まあ」
「はい」
「止むんじゃねえ」
 家の、家庭のにおいに開いた障子から雨がさしていて、雨は外の物音を吸いとって落ちていて、ぬるい空気がわずかばかりの重みを伴って流れている。かたまって、ひきずるように怠惰で穏やかで、静かに満たされている。
 男の向こうで、かわいい妹分が高い声とともに拳を天井に突き出した。不意を打たれた男は目を見開いて妹分を見、少しの間を置いて、その拳をそっと下ろしてやってからまたまぶたを重たげにして首を傾けた。寝惚けてら、と、どっちが、と言いたくなるような鈍い声音で呟くのに、妙はもう頷きもしない。
 何も言わない。
 静かだ。







そして誰も知っている
お題:鍵穴どこ?
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