暗い静かな部屋の中の、さらにもう一つ内側に囲われたところにひとり横たわって目を閉じると、彼女はきっと眠っているように見える。手足を揃えた彼女のからだを床に置いてコンパスの針よろしくぐるりと回転させてみせるよりもうすこし大きい空間にしんと身を投げ出して、唇をぴったり合わせて黙っていたら。同じ室内のけれど一つ外側で風変わりなベッドに寝そべっている彼が、そのどちらかでいい、片方でも目を開いてこちらを見ていたら。そうしたらきっとそう映るだろうと、彼女はまぶたの裏のからっぽの暗がりで考えた。そこは真っ暗で、彼女はとても自由だ。辺り中にとりどりの宝石を散りばめて飾ることも、お気に入りのくまのぬいぐるみを話し相手にすることも、ダンスを踊って真っ青なドレスのレースを盛大に翻すこともできる。奔放で愉快な夢は、簡単に彼女を虜にしてしまう。
 ごろりと彼が寝返りを打つ音がした。
 彼女は新しい呼び名そのもののように無口になって、唇は噤んでいるので鼻と肺とでそっと呼吸をしていた。しんしんと降る静寂も、彼女のための小さな天井に遮られて彼女の身には積もらない。
「サカナちゃん?」
 眠っているのかい、と彼の声が、ごく穏やかな抑揚に乗せられて波のように打ち寄せる。ゆらゆらと揺らめいて、泳げない魚であるところの彼女の伏せたまぶた、その縁のまつげの根元をくすぐる。
「いいえ」
 あっさりと擬態を放り捨てて、彼女もくるりとからだの向きを変えた。腕を頭のしたに敷いてひざを軽く曲げて、すこし離れたところで似たような態勢でいる彼と、向かい合って見つめ合うかたちになる。
 彼はいつものように憂鬱そうにほほえんだ。
「眠っていたんじゃなかったのか」
「うん」
「何をしていたんだい?」
 彼女がわずかばかり身動ぎをすると、つられてずうっと長い鎖も擦れる。丈夫な柵と柵の合間から、憂いに満ち満ちた彼の紫色の瞳が見える。空気に色がなくてよかった、と彼女は嬉しくなった。おかげで明けない夜明けの色を間違わないでいられる。
「夢を見ようと思ったの。でも失敗しちゃった」
 ふう、と溜め息を吐いてみせた彼女に、彼はそうと重たげに頷いた。
「おれは眠れないよ」
 ああなんてかなしいひと。







悪夢の色を知らない
お題:エナメル
20110201
 
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