あ あばくのでなくわかりたいです
 ねえ何か話してよ、とねだるときの彼は、まるで小さな子どもそっくりだ。与えるより与えられるほうがいいとばかり思い込んでいるような幼さ。指摘したら、でも、だっておれはからっぽだから、なんて言われてしまいそうだけれど。開き直るふてぶてしさは持っているくせに。
「何がいいかな?」
「何でも」いいから何か話して。
「……じゃあ、そうね、ふたりの話」
 同じように彼女も彼にねだったら、さて彼は答えてくれるかしら。だけど彼女は与えることの誇らしさに、いまは夢中なのだった。





な なみだ声にきづかないふり
 部屋を満たす水の中で涙は、他よりすこし塩辛くて特別に丸い。ころりと零れ落ちたら溶けずに漂って、彼女のまつげを弾いたり、魚の唇にキスしたり、彼のつめの先へ帰っていったり。彼女はいつも何となくそれを目で追ってしまう。
「今日も眠れない……」
 眠りたいと思ったことが、彼に、あるのだろうか?
 彼女の目線は室内をゆうゆうと泳いで、ふと彼の目元にとまる。しらじらとして魚の肉に似ているそこに、彼女の中に、彼女の解釈としては欲望が灯る。
「魚の涙って甘いの、知ってる?」





た ただしいよりもたのしいがいい
 二人の間には美しい格子と、ぜったいの空間があって隔たっている。物理的な距離は彼にその気があれば容易く埋められるので、いまはふたりとっても近い。実際にその肌と肌で触れ合えるくらいに。
「サカナちゃん」
「なあに」
「目を閉じてくれ……」
 金属でできた柵よりも、絡め合う指先と、キスする唇のほうがよっぽど冷たくて甘い。





と とどかないならとどくまで言うよ
「好きよ」
 言葉は言葉であって、ただそれだけ、何にも変わらないし代わらない。その無機質さはこの部屋と、その内で溺れている二人と何匹かにふさわしい。
「好き」
「好き」
「好き」
 空気を震わす音は水中ではあぶくになって、ぼこぼこ、耳に届かないかわり目に見える。確からしいのはどちらだろう、どっちにしたって手で触れたら割れてしまうものだけど。
「好きよ」
「おれもだよ」
 知ってる、でも、もっと言って。





お おとなになってしまったせいで
 いち、にい、さん、と順繰りに指を折っていって、片手を終えてもう片方に移り、それからまた半分まで戻って伸びたところで彼の指はおとなしくなった。いかにもやわらかくて繊細そうな、絵筆より重いものなんて持ったことのなさそうな指。
「サカナちゃんは十五歳?」
「ええ」
 見えないね、と彼はまるでそれが愉快なことであるかのように笑って言う。彼はよく、物事は複雑に話されなくてはならないと感じるらしい。彼女にはまだわからないはなし。





は はんぶんもことばにならなくて
 だから彼女には歌があるのかもしれない。
 なんて、甘やかな空想にまどろんでいられるのは、彼女の囀りに耳を傾ける彼が何一つ欲していないように見えるから。彼女の話も、彼女の歌も、彼女自身もどれひとつ。必要とされていないのはかなしいことではなくて、つまり……
「青い鳥は歌えなかったの」「でも、彼らはずっと青い鳥を飼っていた」「歌えない青い鳥を」
 ねえどうしてだと思う?





な なのにどうして分かるんだろう
「わかるよ」
 言って、彼は立てたひざに重たそうな頭を乗せて彼女を見遣る。そのかげになった額に落ちかかる前髪をそっと払って、あらわれるそこを撫でられたらいいのに、と彼女は思って彼を見返す。本当にわかるなら叶えてくれたらいいのに。
 彷徨った指が鎖を鳴らして、彼は相変わらず寝台のうえから彼女を呼ぶばかり。
「サカナちゃん」
 彼女はどこにも行かれない。





し しずかにわらってキスでごまかす
 ゆるりと弧を描いた唇が、声もなく、たったそれだけで彼女にも沈黙を促す。哀れ鳥籠に捕らえられた彼女は、歌うための魚であるはずなのに!
 対角線で繋がれた向こう岸から、歌わない魚たちが彼女をわらう。
 光も射さない深海の底に、ゆらり、二人でならば沈んでいられる。







8のお題 あなたとおはなし
お題:as far as I know
20110207
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