恋や愛について大真面目に語っても許される時期は過ぎてしまった。ピオニーは世界を二分する帝国の皇帝としては甚だ若かったし、そうでなくとも未だに十分に若くまた精力的であったが、しかし近頃では自分より幼い者を見て若いなあ、とじじむさい感想を抱くことも多くなった。ときには口にも出す。これはことにガイラルディアが彼に傅いてからだ。
 すんなりと伸びることもできる背がいまは折れ曲がって広い室内をあちらへこちらへ行き来するのを眺めながら、ピオニーはずっと以前に思い悩むのをやめてしまった恋や愛について、ふと開いた棚から転がり落ちてきたおもちゃを懐かしく弄り回すくらいの心持ちで思考をやってみた。本当はピオニーの歳でこそ真に考え尽くすべきかもしれない事柄について、しかし誰もピオニーがそれについて語るのは期待しない、むしろ誠実かつ適当に戯れることこそが望まれる問題(つまりは世継ぎだ)について。
 ピオニーはくるくると指先でペンを取り回しつつ、彼のかわいいペットたちをどうにか大人しくさせたガイラルディアが退出の意を告げに向かってくるのに問いかけた。
「ガイラルディア。キスしたことあるか?」
 ガイラルディアはぴたりと足を止めて、あごを引き、ぎゅっと眉根を寄せて口を噤み、それからそれらすべての反応をなかったことにするべくさわやかにほほえんだ。もちろん君主に対する礼を失しない範囲で。
「本日の散歩を終えましたことをご報告致します。かわいいほうのジェイドがややはしゃぎすぎて疲れたようですが特に問題はありません」
「質問に答えろ」
「質問の意図がわかりかねます」
「いいから。答えろ」
 ガイラルディア、と重ねて呼ぶと青年は背筋をぴんと張り詰め、憮然としそうになるのを取り繕ったんだろうまじめな顔で言った。こうして彼に命令するのもピオニーには実に容易い。卑怯な大人だ、とは思うがそれは甘やかすガイラルディアが悪い(と卑怯な大人はいうことにしておく)。
「ありますよ」
「男とか?」
 言下に返せばとうとうガイラルディアの仮面がくずれる。ピオニーはこの瞬間が好きだ。愉快だ。大概趣味が悪いとは自覚しているがやめられないのは気に入っているからだ。ささやかな害しかないのだから許してほしい。
「陛下……」
「何だ?」
 ガイラルディアの眉尻が下がる。情けないようなのにそうは思わせない、困らせて悪かった、と危うくピオニーでさえ謝らされそうになる角度だ。世の女性の大半はイチコロだろう、これは、と思われる。だからこそ困らせたい。執務を、とガイラルディアが言いかけるのを遮ってやった。気になって手につかない。そんなばかな、という表情をガイラルディアはしたしピオニーもばからしいとは思うが取り下げてはやらない。
「どうだっていいでしょう」
「俺の執務がか?」
「違います!」
 見目よく有能な青年貴族はぱしんとはねるように言った。君主に対して。度胸もいい。しかし彼のいまの仕事ときたらこうしてピオニーの愛らしいペットの面倒を見、結構な頻度で執務に飽いた皇帝にからかわれることくらいなのだからまったく哀れだ。それはピオニーにならすぐにでも解決できそうで、いろいろなことを鑑みればできない、まだしばらくは続きそうな泥濘だ。
「ジェイドか?」
 にやにやと笑いながら救いの手を伸べてやれば、ガイラルディアは崖の縁にまで追い詰められたようにたじろいだ。あの冷血人間がこの青年に対しては随分と心を開いているようなのをピオニーは知っている。それがいま自分が口にしたような意味を孕んでいるのかは、まあ、実を言うとどうだっていい。そりゃそういうわけじゃないだろうなあとは当然思う。そういうわけだったら面白いなあとも思う。大切なのはガイラルディアが困り果てることで、それを見て意地の悪い大人である自分が満足することだ。
 恋や愛について。
 こうしているとまるで無知な子どものような、ときには無欲な老人のようなガイラルディアは、本当はまだ恋や愛について大真面目に語っても許される若者なのだ。そのことくらいはピオニーは大事にしたい。
 だから言った。
「恋をしろよ。ガイラルディア」







お帰り愛される子ども
20100412
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