残念ながら、夜半を過ぎても雪は降らなかった。ビロードの幕を一枚下ろしたような乾いた闇に、黒い髪と服の男が重なっている。濃い疲労の影が貼りついたその顔と目と目で日頃の愚痴や慰めを交わし合っていると、シュン、と背後で空間そのものが揺れる(ような。正確なところはおそらく誰も知らない)気配がして、そこにあったひと一人分の空気がそっくり消えた。かわって現れたひと一人は、これまた真っ黒い服にこちらは銀(だか白だか)の髪をしている。平生通りのスタイルだ。二人とも。
「お、真木、どうしたんだ。自分と見つめあっちゃってさ」
 随分熱心だな?
 目をとめて一度怪訝そうな顔になって、それからにやっと笑ってあからさまにからかってくる兵部に、真木は窓へと向いたままで眉根を寄せた。ガラスに映る男の影がさらに濃くなる。ななめ後ろで少年がひょいと肩をすくめた。
「そんな顔すると男前が台無しだぜ?」
「させてるのは誰ですか。別に惜しむようなものではありませんが……プレゼントは配り終えられたので?」
「うん」
 振り向いてきちんと顔を合わせて問うと、兵部はこくんと素直に頷いて、手に持った袋を得意げに掲げてみせた。「ほら」手首を揺らすとしおれた袋がへろへろ振れる。空なのだろう。
「みんないいこで眠ってた」
「そうですか」
「そう。そうだ、おまえにも何かやるべきかな」
「俺に?」
「おまえと、紅葉と葉にも」
 ん? とまんざら冗談でもなさそうにうかがってくる見た目だけならば十近く年下の相手に、真木はまた眉間にしわを作って、ちょっと間をあけてから結構ですと返した。声が憮然としたのか拗ねたのか自分ではわからない。
 兵部はそうか? とまだすこし飲み込んでない声を出して、遠慮するなよと本気なのかそうでないのかはっきりさせないままで言う。いつもそうだと言えばそうだが(そしてたいてい本当にやらかす、本人は洒落のつもりかもしれないが全然洒落になってないことを)。
「おまえたちもいいこだからな」
「……お気持ちは嬉しいですが。俺たちはもう子どもではありませんから」
 にっこりと音のしそうな笑顔で言われて、冗談だったんだろうと結論付けて答えた真木に、兵部はふうんと鼻を鳴らした。……それから、なにか種類の違う微笑みを浮かべる。するともとより静かな夜に、それでもまだあたりに転がっていた音たちがそっと物陰に隠れたようだった。しんとする。
「まあそうだな。こんなにでかくなっちゃったし……いい男になったよ」
 わらったまま、兵部は手をあげて真木の眉間に触れた。当てられた指からじわりと違和感が伝う。
 真木は詰まった息を慎重に吐いた。
「ありがとうございます」
「だからまあそんなに難しい顔ばっかりするなって。でかくはなったけどまだ若いだろ? 確か」
「あなたに、……あなたが、もうすこし落ち着いて下されば俺もこんな顔をしなくてすみます。ご心配下さるのなら、少佐」
「心配はしてないけど」
 兵部はまた肩をすくめて、確かにまったく子どものようにすましてみせた。しかしまったくかわいくはない。何をしようが中身は八十の爺だ(十二月二十四日の夜に眠る子どもの枕元にプレゼントを配るには相応しいかもしれない。ひげはないが)。
「それに今日の僕はいいこだったろ?」
 そして真木と紅葉と葉と、彼らパンドラのボスだ。唯一の(だから誰より相応しい)。
 真木はどうにかため息を堪えて、半端な息を吐いた。
「そうですね。みんな喜んだでしょうし、明日の朝も喜ぶでしょう」
「うん」
 兵部は手のなかの袋を真木に差し出しながら、まあその顔も男前だよ、とあくびまじりにぼけて言った。八十の老人にはやはり夜更かしはこたえるらしい。







幸せより欲しいものがあるよ
お題:唾
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